本篇为补档。

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第一章

なるほど外界の現実は、私がじたばたしているあいだ、手を休めて待っていてくれるように思われる場合もある。しかし待っていてくれる現実はもう新鮮な現実ではない。私が手間をかけてやっと外界に達してみても、いつもそこには、瞬間に変色し、ずれてしまった、……そうしてそれだけが私にふさわしく思われる、鮮度の落ちた現実、半ば腐臭を放つ現実が、横たわっているばかりであった。

在我拼命挣扎的时候,外界的现实有时也会停下脚步等着我,可是等待我的现实已经不再是新鲜的现实了。我费尽力气好容易到达的外界,总是转瞬之间变了颜色,早已脱位了……看来,只有这个才是适合我的。唯有失去鲜度的现实、一半散发腐臭气的现实,横卧在我的面前。


第二章

晩夏のしんとした日光が、究竟頂くきょうちょうの屋根に金箔きんぱくり、直下にふりそそぐ光りは、金閣の内部を夜のようなやみたした。今まではこの建築の、不朽の時間が私を圧し、私を隔てていたのに、やがて焼夷弾しょういだんの火に焼かれるその運命は、私たちの運命にすり寄って来た。金閣はあるいは私たちより先に滅びるかもしれないのだ。すると金閣は私たちと同じ生を生きているように思われた。

晚夏静谧的阳光,在究竟顶上贴上一层金箔,直接下泄的光芒将金阁内部填满了夜的黑暗。以往,这座建筑不朽的时间压抑着我,阻隔着我,不久就要被燃烧弹的烈焰烧光。它的命运向我的命运靠近。说不定金阁会比我们更早消亡,这样一来,金阁也就和我们经历着相同的生涯。


第三章

たとえば人間を薔薇ばらの花のように内も外もないものとして眺めること、この考えがどうして非人間的に見えてくるのであろうか? もし人間がその精神の内側と肉体の内側を、薔薇の花弁のように、しなやかにひらがえし、き返して、日光や五月の微風にさらすことができたとしたら……

假如将人看成像玫瑰花一样无所谓内外,那么这种想法为何又成了非人性的呢?如果人的精神的内面和肉体的内面,似玫瑰花一般能轻柔地翻来卷去,沐浴在五月的阳光和微风里……


母のちぢれたおくが私のほおにさわったとき、薄暮の中庭の苔蒸こけむした蹲踞つくばいの上に、私は一羽の蜻蛉とんぼが羽根を休めているのを見た。夕空はその小さな円形の水の上に、ちていた。物音はどこにもなく、鹿苑寺はそのとき無人の寺のように思われた。

母亲鬈缩的鬓发触及着我的面颊,这时,我看到薄暮的中庭布满苔藓的洗手钵上,一只大蜻蜓在上头歇息翅膀。夕暮的天空沉落在圆形的小小水面上,一切寂悄无声,当时的鹿苑寺宛若一座无人寺。


第四章

人の苦悶くもんと血と断末魔のうめきを見ることは、人間を謙虚にし、人の心を繊細に、明るく、和やかにするんだのに。俺たちが残虐ざんぎゃくになったり、殺伐になったりするのは、決してそんなときではない。俺たちが突如として残虐になるのは、たとえばこんなうららかな春の午後、よくり込まれた芝生の上に、木洩こもたわむれているのをぼんやり眺めているときのような、そういう瞬間だと思わないかね。

人的痛苦、流血和临死前的惨叫,会使人变得谦虚、细心、明朗和亲切。我们变得残虐,变得杀伐无度,绝不是在这个时候。我们突然变得残暴是在一瞬之间,就像春日和煦的午后,坐在悉心修剪的草地上,朦胧眺望由树叶间漏泄下来的阳光,那种一眨眼的工夫。


第五章

そのとき金閣が現われたのである。

威厳にみちた、憂鬱ゆううつな繊細な建築。げた金箔きんぱくをそこかしこに残した豪奢ごうしゃ亡骸なきがらのような建築。近いと思えば遠く、親しくもあり隔たってもいる不可解な距離に、いつも澄明に浮んでいるあの金閣が現われたのである。

それは私と、私の志す人生との間に立ちはだかる。

这时,金阁出现了。

威严屹立、充满忧郁的精巧的建筑。脱落的金箔随处可见,豪奢的亡骸般的建筑。在那似近实远、既亲密又悬隔的虚幻的距离上,出现了那座永远浮现于澄明之中的金阁。

它矗立于我和我所立志实现的人生之间。


人生に於て、永遠に化身した瞬間は、われわれを酔わせるが、それはこのときの金閣のように、瞬間に化身した永遠の姿に比べれば、物の数でもないことを金閣は知悉していた。美の永遠的な存在が、真にわれわれの人生を阻み、生を毒するのはまさにこのときである。生がわれわれに垣間かいま見せる瞬間的な美は、こうした毒の前にはひとたまりもない。それは忽ちにして崩壊し、滅亡し、生そのものをも、滅亡の白茶しらちゃけた光りの下に露呈してしまうのである。

人生中化身于永远的瞬间,可以使我们陶醉;但是,正如此时的金阁一样,较之化身于瞬间的永远的姿态来,那是不值一提的。对此,金阁十分清楚。美的永恒的存在,真正阻滞我们的人生、毒害生命,就是这个时候。生命透过墙缝向我们闪现的瞬间的美,在这种毒害面前不堪一击,它会迅速崩溃、灭亡,将生命本身暴露在灭亡的褪色发白的光芒之下。


柏木かしわぎを知ってから鶴川をいくらか疎略そりゃくにしていた私であったが、失って今更わかることは、私と明るい昼の世界とをつなぐ一縷いちるの糸が、彼の死によって絶たれてしまったということであった。私はうしなわれた昼、喪われた光り、喪われた夏のために泣いたのである。

自打认识柏木,我对鹤川有些疏远,然而一旦失掉他,我才深切感到,由于他的死,连接我和白昼般光明世界的一根丝线也随之断绝了。我丧失了白昼,丧失了光明,丧失了夏天。我为此而哭泣。


第六章

それにしても音楽の美とは何とふしぎなものだ! 吹奏者が成就じょうじゅするその短かい美は、一定の時間を純粋な持続に変え、確実に繰り返されず、蜉蝣かげろうのような短命の生物をさながら、生命そのものの完全な抽象であり、創造である。音楽ほど生命に似たものはなく、同じ美でありながら、金閣ほど生命から遠く、生を侮蔑ぶべつして見える美もなかった。

音乐之美是多么不可思议啊!演奏者所成就的短暂的美,在一定的时间内变为纯粹的持续,确实没有反复,虽然像蜉蝣一样生命短暂,但却是生命本身一种完全的抽象和创造。音乐最像生命,虽然同样是美,但金阁之美却远离生命,是一种侮辱生命的美丽。


第七章

なぜこの草の葉の尖端が、これほど鋭い鋭角でなければならないのか。もし鈍角であったら、草の種別は失われ、自然はその一角から崩壊してしまわねばならないのか。自然の歯車の極小のものを外してみて、自然全体を転覆させることができるのではないか。

为何草叶尖必须是这种锐角呢?如果是钝角,草叶的种别就会失去,自然界就会从这一角开始崩溃吗?那么一旦拆掉自然的一个小小齿轮,不就能使整个自然界全体覆没吗?


それは正しく裏日本の海だった! 私のあらゆる不幸と暗い思想の源泉、私のあらゆる醜さと力との源泉だった。海は荒れていた。波はつぎつぎとひまなく押し寄せ、今来る波と次の波との間に、なめらかな灰色の深淵しんえんをのぞかせた。暗い沖の空に累々るいるいと重なる雲は、重たさと繊細さをあわせていた。というのは、境界のない重たい雲の累積が、この上もなく軽やかな冷たい羽毛のような笹縁ささべりにつづき、その中央にあるかなきかの仄青ほのあおい空を囲んでいたりした。鉛いろの海は又、黒紫色のみさきの山々を控えていた。すべてのものに動揺と不動と、たえず動いている暗い力と、鉱物のように凝結した感じとがあった。

这里才是真正的内日本的海!是我一切不幸和灰暗思想的源泉,是我所有的丑行和力量的源泉!这里波高浪险,海涛阵阵奔涌而至,一浪高过一浪,波涛之间闪现着平滑、灰色的深渊。海上晦暗的天空阴云密布,既厚重又纤细。这是因为没有境界的厚重的云层相互堆积,连缀着无比轻盈而冰冷的羽毛般的花边儿,中央包裹着似有若无的淡淡的青空。铅灰色的海面再次依偎着地岬上紫黑色的山峦。所有一切都感受到一种动与不动,以及不断运动的黑暗的力量,犹如矿物一样凝结在一起了。


第八章

おしなべてしょうあるものは、金閣のように厳密な一回性を持っていなかった。人間は自然のもろもろの属性の一部を受けもち、かけがえのきく方法でそれを伝播でんぱし、繁殖するにすぎなかった。殺人が対象の一回性を滅ぼすためならば、殺人とは永遠の誤算である。私はそう考えた。そのようにして金閣と人間存在とはますます明確な対比を示し、一方では人間の滅びやすい姿から、却って永生の幻がうかび、金閣の不壊ふえの美しさから、却って滅びの可能性が漂ってきた。

一般地说,有生命的东西不具有金阁那般严密的一次性。人类只不过承继自然界诸种属性的一部分,运用有效的接替方法传播和繁殖。杀人如果是为着消灭对象的一次性,那么所谓杀人就是永久的误算。我是这样想的。如此说来,金阁和人的存在越发表现出了明显的对比:人类易于灭亡姿态,却浮现着永生的幻象;而金阁不朽的美丽,却飘荡着灭亡的可能性。


今私の身のまわりを囲み私の目が目前に見ている世界の、没落と終結は程近かった。日没の光線があまねく横たわり、それをうけてきらめく金閣を載せた世界は、指のあいだをこぼれる砂のように、刻一刻、確実に落ちつつあった。……

如今,围绕我身体周边的世界,我眼见着这个世界的没落和终结渐渐临近了。太阳行将落山的光辉普照大地,载着霞光灿烂的金阁的世界,宛若指缝间漏泄的沙子,一时一刻都在继续沉落下去……


第九章

かつては華やいでいたものが、古い護符のうしろに、白くほのかに病み衰えているのが見えた。火の幻にこのごろの私が、肉慾を感じるようになっていたと云ったら、人は信じるだろうか? 私の生きる意志がすべて火に懸っていたのであれば、肉慾もそれに向うのが自然ではなかろうか? そして私のその欲望が、火のなよやかな姿態を形づくり、ほのおは黒光りのする柱を透かして、私に見られていることを意識して、やさしく身づくろいをするように思われた。その手、そのあし、その胸はかよわかった。

我看见曾经风光一时的火,躲在古老的护符后边颜色愁惨,沉绵不起。此时的我,在火的幻影里感受到了肉欲。——我这样说,人们会相信吗?假若我的生命意志一切都关系着火,那么肉欲也就很自然地冲着火而来,不是吗?我的此种欲望形成了火的柔软的姿态,光焰透过黑黝黝的柱子,它意识到已经被我发现,似乎正要精心打扮一番。那手,那腿,那胸,都是轻柔无比的。


私には有為子は生前から、そういう二重の世界を自由に出入りしていたように思われる。あの悲劇的な事件のときも、彼女はこの世界を拒むかと思うと、次には又受けれていた。死も有為子にとっては、かりそめの事件であったかもしれない。彼女が金剛院の渡殿わたどのに残した血は、朝、窓をあけると同時に飛びったちょうが、窓枠まどわくに残して行った鱗粉りんぷんのようなものにすぎなかったのかもしれない。

我认为有为子生前就能自由出入这个双重的世界。发生那场悲剧的时候,她一度拒绝了这个世界,紧接着又接受下来了。对于有为子来说,死,也许是权宜之计吧。她留在金刚殿渡廊上的鲜血,仅仅是晨起开窗时飞来的蝴蝶染在窗棂上的鳞粉。


人生でいずれ私が味わうことになるあらゆる体験は、もっとも輝やかしい形で、あらかじめ体験されているという感じを、私はぬぐうことができない。こうした肉の行為にしても、私は思い出せぬ時と場所で、(多分有為子と)、もっとはげしい、もっと身のしびれる官能のよろこびをすでに味わっているような気がする。それがあらゆる快さの泉をなしていて、現実の快さは、そこから一掬いっきくの水をけてもらうにすぎないのである。

たしかに遠い過去に、私はどこかで、ならびない壮麗な夕焼けを見てしまったような気がする。その後に見る夕焼けが、多かれ少なかれ色褪いろあせて見えるのは私の罪だろうか?

我在人生中即将尝受的一切体验,应该以一种更为光辉的形式预先体验一次。我的这种感觉挥之不去。即使是此种肉体行为,我也感觉到在想不起来的时间和地点(多半同有为子),早已尝受了更剧烈、更使浑身麻木的官能的欢愉。这才是一切快乐的源泉,现实的快感只不过是从中分赠来的一掬清水罢了。

我感到在遥远的往昔,我的确在哪里看见过无比壮丽的晚霞。后来看到的晚霞,多多少少都显得逊色了。这是我的罪过吗?


木々は昨夜までの雨にれていた。灌木かんぼくの葉末のおびただしい露には、朝焼けの名残が映って、時ならぬ淡紅のったかのようである。露をつないだ蜘蛛くもの巣もほのかにあかみがさしてわなないている。

私は地上の物象が、こんなにも敏感に天上の色を宿しているのを、一種の感動を以てながめた。寺内じないの緑に立ちこめている雨のうるおいも、すべて天上からけたものであった。それらはあたかも恩寵おんちょうを享けたように濡れそぼち、腐敗とみずみずしさの入りまじったを放っていたが、それというのも、それらは拒むすべを知らないからだった。

树林被昨夜的雨水打湿了,灌木叶子尖上缀满水珠儿,映着空中的朝霞,看起来就像结出淡红的果子一般。沾满露水的蜘蛛网也泛着微红颤动着。

我满怀感动眺望着地上的物象如此敏锐地含蕴着天上的色彩。蓄积在寺内绿树上的润泽的雨气,也完全是上天所赐予。一切都鲜润欲滴,恰似饱享着恩宠,散放着腐败和翠碧相混合的馨香。不过,这都是因为这些植物不知道如何拒绝的缘故。


第十章

何故なら、池のおもてにたゆたう莫大ばくだいな官能の力が、金閣を築く隠れた力の源泉であったのだが、その力が完全に秩序立てられ、美しい三層を成したあとでは、もうそこに住むことに耐えられなくなって、漱清をつたわってふたたび池の上へ、無限の官能のたゆたいの中へ、その故郷へと、遁れ去ってゆくほかはなかったのだ。いつも思ったことだが、鏡湖池に立ち迷う朝霧や夕靄ゆうもやを見るたびに、私はそここそ金閣を築いたおびただしい官能的な力の棲家すみかだと思うのであった。

晃漾于池面上的莫大的官能力量,是建筑金阁的隐蔽力量的源泉,此种力量完全被秩序化而完成三层之后,已经耐不住在此停驻,只得沿着漱清再次向池面、向晃漾的无限官能、向故乡逃遁。我时常这样想,每逢看到笼罩在镜湖上的朝雾或夕霭,我就认为那是构筑金阁的众多官能力量的栖息之所。


『仏にうては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢らかんに逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷しんけんに逢うては親眷を殺して、始めて解脱げだつを得ん。物とかかはらず透脱とうだつ一八三自在なり』

言葉は私を、陥っていた無力からはじき出した。にわかに全身に力があふれた。とはいえ、心の一部は、これから私のやるべきことが徒爾とじだと執拗しつように告げてはいたが、私の力は無駄事をおそれなくなった。徒爾であるから、私はやるべきであった。

“逢佛杀佛,逢祖杀祖。逢罗汉杀罗汉,逢父母杀父母,逢亲眷杀亲眷,始得解脱。不拘于物,透脱自在也。”

这段话将我从深陷的无力中弹出来,使我立时浑身充溢着力量。然而,心的一部分却执拗地告诉我,即将要做的事皆为徒劳,不过我的力量不畏惧徒劳。正因为徒劳,我才要干。


私はその戸をたたいた。叩く音は激しかったろうが、私の耳には入らない。私は懸命にその戸を叩いた。誰かが究竟頂の内部からあけてくれるような気がしたのである。

そのとき私が究竟頂に夢みていたのは、確かに自分の死場所であったが、煙はすでに迫っていたから、あたかも救済を求めるように、性急にその戸を叩いていたものと思われる。戸の彼方にはわずか三間四尺七寸四方の小部屋しかないはずだった。そして私はこのとき痛切に夢みたのだが、今はあらかた剥落はくらくしてこそおれ、その小部屋にはくまなく金箔きんぱくが貼りつめられている筈だった。戸を叩きながら、私がどんなにそのまばゆい小部屋にあこがれていたかは、説明することができない。ともかくそこに達すればいいのだ、と私は思っていた。その金色こんじきの小部屋にさえ達すればいい……。

我开始敲门,响声很大,但自己的耳朵听不见。我拼命敲门,总以为会有人从究竟顶内部给我打开来的。

这时候,我之所以迷上究竟顶,是因为那里确实是自己的葬身之地。但烟火逼近了,我像求救似的一个劲儿敲门。门里头只有三间边长为四尺七寸的方形小房子,而且,我痛切地向往着那里,如今虽然已经剥落,但那座小房子应该是到处镶满金箔的。我很难说清楚,我是如何一面敲门,一面憧憬那座金光耀眼的小房子的。我想,只要到达这里就好了,只要到达这座金色的小房子,就满足了……


あおのけに倒れた私の目は夜空を見ていた。おびただしい鳥が、鳴き叫んで赤松のこずえをすぎ、すでにまばらな火の粉が頭上の空にも浮遊していた。

身を起して、はるか谷間たにあいの金閣のほうをながめ下ろした。異様な音がそこからひびいて来た。爆竹のような音でもある。無数の人間の関節が一せいに鳴るような音でもある。

ここからは金閣の形は見えない。渦巻いている煙と、天にちゅうしている火が見えるだけである。をおびただしい火の粉が飛び、金閣の空は金砂子きんすなごいたようである。

私はひざを組んで永いことそれを眺めた。

我仰面躺在地上,眼睛望着夜空。一群群野鸟鸣叫着掠过红松树梢,飞散的火粉浮游于头上的天空。

我欠起身子,远远俯视着山谷里的金阁。四围震荡着异样的声音,犹如燃放的爆竹,又像无数人的关节同时发出了响声。

从这里看不见金阁的外形,只能看见翻滚的烟雾和冲天的火光。林木之间飘扬着众多的火粉,金阁的上空像遍洒着金沙子。

我紧抱膝头,久久地眺望。